日本の税制
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225第二章 飛鳥時代ⅲ.班田の実施○孝徳天皇*白雉3年(652)春正月1日 正月からこの月までに,班田(わかちだ・公民に田地を分かち与える)は終った。およそ田は,長さ30歩を1段とし,10段を1町とする(広さ12歩が省略か脱落。このあたり脱落のため難解である)。1段につき租の稲は1束半,1町につき租の稲は15束とする。 上記の「1段につき租の稲は1束半」は,4年前の大化2年(646)正月の改新の詔の「租率2束2把」とは異なっており,慶雲3年(706)9月10日の格の「令前租法(『大宝令』施行以前)。熟田百代租稲3束」と同じである。これは,度量衡の変更によるもので,実質的にはほぼ同量と言われているが,詳細は不明である。 八木充は,「この記事が第一回の班田であると推定できる」とする。ⅳ.地方巡察○天武天皇*14年(685)9月15日 直広肆都努朝臣牛飼(じきこうしつぬのあそんうしかい)を東海の使者に,直広肆石川朝臣虫名(むしな)を東山の使者に,直広肆佐味朝臣少麻呂(すくなまろ)を山陽の使者に,直広肆巨勢朝臣粟持(あわもち)を山陰の使者に,直広参路真人迹見(とみ)を南海の使者に,直広肆佐伯宿禰広足(ひろたり)を筑紫の使者とし,それぞれに判官(第三等官)1人,史(第四等官)1人を従えて,国司・郡司および百姓(おおみたから)の状況を巡察させた。(注) なぜ,北陸道が除かれているのかは不明である。○持統天皇*8年(694)秋7月4日 巡察使(じゅんさつし・めぐりみるつかい・令制では太政官に属し,臨時に官人を任命する)を諸国に遣わされた。(注) 巡察使については,『続日本紀』のところで解説する(233ページ)。

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