日本の税制
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iiとを必要としている(第84条)」と判示している。この判決が「会費説」といわれるもので,我が国の定説となっている。 このように,日本国憲法の税についての建て付けは,権利・自由の保障を担保しているのが納税という義務で,税が徴収できなければ,国家としては何もできないということ。つまり,「無い袖は振れない」ということである。そうすると,税は,国民一人ひとりに大きく影響するものであり,税制の在り方を考えることは国家の在り方を考えることでもあるといえる。 昨今,税に関する国民の関心は高まってはいるものの,フリーライダーのように,権利だけを享受することに慣れた一部の国民は,自らが互いに税を負担し合わないかぎり国家は立ち行かないことを真剣に理解しようとせず,また,政府や国会議員の中にも,政権や議席を獲得することだけを念頭に,単に国民の意見に迎合する政策を口にしている人が少なからずいる。まさしく国家百年の計が疎かになっている。票目当ての「政府の負担で」とか,「国が援助すべきである」として,国家財政をあたかも「打出の小槌」のように考えている政治家の発言を決して信用してはならないこと,そして,多くを求めると,その負担は必ず自らに返ってくることを認識することである。国民と政治家が個別利益と集票のために行動すると,国家財政が赤字になり,国民間の捻じれ,不公平を生じさせることにもなる。 これについて,ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ジェームズ・M・ブキャナンは,『赤字財政の政治経済学-ケインズの政治的遺産』の中で,「赤字予算を組んだとき,赤字予算というのは,歳出を伸ばし,あるいは減税をするという予算であるので,こういう予算を組んだときに選挙民は,直接の利益が分かるので歓迎する。ところが,黒字予算を組むと,つまり増税をするとか,歳出をカットするとかいったときには,それにより負担の方が直接的に分かるために,選挙民はこれを嫌う。これによって近代社会における政治は,次第に政治家は選挙民の意を汲んで,赤字予算を選び,黒字予算を組まなくなる。本来なら,赤字予算を抑制すべきであるのに,そうはしない。なぜ

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